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最高裁判所第一小法廷 昭和58年(あ)691号 決定 1984年6月08日

本籍

茨城県鹿島郡鉾田町大字借宿一三七三番地

住居

東京都足立区谷中二丁目五番三号

グランヴィラ綾瀬七〇三号

会社役員

二重作眞

昭和五年一二月一八日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五八年四月一三日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人葛西宏安の上告趣意は、憲法一四条、三一条違反をいう点を含め、実質は事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 藤﨑萬里 裁判官 谷口正孝 裁判官 和田誠一 裁判官 角田禮次郎 裁判官 矢口洪一)

昭和五八年(あ)第六九一号

○上告趣意書

所得税法違反

被告人 二重作眞

右被告人の頭書被告事件につき上告の趣意は左記のとおりである。

昭和五八年六月二四日

弁護人

弁護士 葛西宏安

最高裁判所 第一小法廷 御中

第一 原判決には判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。

一、原審が犯情悪質と認定する理由の一つとして摘示する昭和五四年以降の所得の過少申告は、その事実がないこと。

原審判決は被告人が著しく納税意識を欠き犯情極めて悪質であると認定し一審の量刑は妥当であるとし、その根拠として脱税の手段方法が周到かつ巧妙であるうえ計画的であること、国税局の査察着手後も親族その他の名義で支払われた役員報酬が被告人に帰属しないことを正当化しようと企て、名義人らに指示して金融機関に預金口座を開設させその後の役員報酬を振込むなどの工作をしたこと。

検察庁の取調べに備えて右名義人らを集めてその対策を指示したこと。更に昭和五四年以降の所得税についても過少申告をしたことの四点を列挙し、更に一たん捜査段階で全面的に自白しながら一審審理の途中で否認に転じことを指摘し、被告人の刑事責任は重く、一審の懲役一月六月罰金五〇〇〇万円に処した一審判決は相当であったと認定している。

しかしながら原審が、被告人が納税意識を欠き犯情極めて悪質と指摘する四つの事実のうち最後の昭和五四年以降の所得税について被告人が過少申告をした事実は全くない。

被告人のみならず原審の相被告人二重作弘正、一審の相被告人二重作満にもその事実はなく、被告人及び右、弘正、満の関係する会社にも法人税の過少申告の事実は全くない。

右のごとく被告人その他には昭和五四年以降所得税等の過少申告の事実は全くないから、当然のことながら証拠はなく、又、検察官の主張もない。

一審判決も被告人等について昭和五四年以降の所得税の過少申告など全く認定していない。

それにもかかわらず原審は一審判決の量刑が妥当であったことの理由として、右事実を摘示している。

本件は所得税のほ脱事犯であるから本件対象期の後である昭和五四年以降も被告人或いは右弘正が、所得税の過少申告を行なっていれば、脱税の摘発を受けたのにもかかわらず、これを無視することとなり遵法精神と納税意識とを著しく欠き犯情極めて悪質との認定を受けるであろう。

昭和五四年以降の過少申告は、若しこれが事実であれば原審の指摘する前記四つの悪質な情状のうち脱税事件としては最も重いものと考えられる。

原審は右のごとき認定に立って、一審の量刑は妥当であると結論しているのであるが、前記のごとく、昭和五四年以降の所得税の過少申告は存在しないのであるから、原審裁判所が真実のとおり右過少申告が存在しないと認定していたならば当然一審判決につき異なった判断を下した筈であり一審を破棄し自判した量刑は異なっていた筈である。

原審が、昭和五四年以降被告人と右二重作弘正に所得税の過少申告があると誤まって認定したのは、本件対象期である昭和五三年分は昭和五四年に申告期が到来し、又、昭和五〇年から五三年までの分の修正申告が昭和五六年に行なわれ、それ以後延滞税を含めて納税していることなどが原因となっているのではないかと思われる。

いずれにしろ、原審判決には判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。

二、被告人が、査察着手後に他人名義によって取得していた役員報酬につき銀行振込等の工作をし、又名義を借りた者に対しその者達の検察庁の取調べについて対策を指示したとの点について。

原審判決は一審判決が、査察着手後被告人が指示をして役員報酬等取得の名義を借りている者に銀行口座を開設させ、そこに役員報酬を振込んで名義人に役員報酬が支払われていたかのごとく仮装した点について、罪証隠滅工作と認定したのに対し原審において弁護人が控訴趣意書第三において述べたごとく罪証隠滅工作といっても、工作は昭和五四年二月以降分として行なわれたのであるから、本件の対象期である昭和五二年、五三年分として遡って行なったのではないと主張したのに対し「従前から右名義人らに実際に役員報酬が支給されていたかのごとく見せかける工作をし」と認定した。

確かに右のごとき意図が被告人にあったと思われるが、しかし、被告人の行為そのものは五四年二月以降分についての銀行振込であって、形としては昭和五四年二月分以降として現われているにすぎない。

昭和五四年二月分以降役員報酬の銀行振込が行なわれているからといって、銀行振込の行なわれていない昭和五二年と五三年も、役員報酬が名義人に支払われていたとは到底認定し難いところであって、その程度の工作が極めて悪質との犯情となるとは考えられないのである。

右行為は、悪質というより、むしろ間接的で迂遠な工作という方が当を得ていると思われる。

その上右銀行振込はその後昭和五五年春頃までに即ち検察官の取調べの開始前に全て取りやめており、被告人もその他関係者も全て検察官調書ではこれら工作のことも全て明らかに認めたうえで犯罪事実を認めているのであるからこの点から考えても右工作は刑を重からしめる程悪質な情状となる事実ではない。原審は、控訴趣意書の前記主張があるためか右行為について一審の用いた罪証隠滅という文言は用いず単に「工作」と云いかえているが、しかし悪質な情状として右工作を摘示しており原審判断の重要な根拠となっていることは疑のないところであるが、前述のごとく右工作をもって刑を重からしめる事実とする認定は誤まりである。

又、原審のいう、右名義人に対する「検察庁における取調べに備えて同人らを集めてその対策を指示した‥‥」との点も控訴趣意書第二に記載したごとく、一旦は右名義人らに検察官に対しては役員報酬を受取っていると答えろと指示したものの実際に検察官の取調べが開始される前には右指示を取消し検察官に対しては、もらっていないと真実のことを答えろと訂正し指示している。

そして検察官の捜査では当初から右名義人は被告人の指示に従って真実の答えをし検察官調書が作成されている。

(控訴趣意書第一、三、1.栃沢勇之助の検察官調書他)

従って、被告人が行なった右名義人らの検察官についての対策の指示は、検察官の取調べにおいて何等悪影響はなかったのであるから、原審の判決の認定するような悪質な行為ではない。

三、一審の公判において当初全面的に自白しながら審理が進むにつれて否認に転じた点について。

原審は右の点について、控訴趣意書第一において詳細に弁護人が主張したのに対して「本件についてその事情はともかく一たん捜査段階で全面的に自供しておりながら原審における審理が進むにつれて再び否認に転じ十分反省しているとは認めがたかったことに徴すると……」と指摘するが、右の「その事情はともかく」のその事情について弁護人が重要な事実として主張したのであるから、これに対する裁判所の認定を示すべきであって否認した結果のみを指摘するのみでは控訴審として重要な事実認定の欠落があったものと考えられる。

そして弁護人の主張の右事実についての認定をせず一審公判の後半において被告人が犯罪事実を否認し、立証活動を行なったことをもって悪質な情状としていることを示している。

しかし、一審の公判の後半において否認し立証活動をしたことも、控訴趣意書第一で主張しているごとく被告人は公判当初全面的に犯罪事実を認め、検察官申請の書証の取調べに全て同意し取調済となった後否認に転じ、立証としては主要な争点について同意取調済の検察官調書の供述者を証人として申請し右調書に事実を認める旨記載されている事柄について公判廷においてこれを否定する証言をさせ又、否認の主張に沿う計算書類を単に提出しただけでこれがいかなる根拠で作成されたのかの立証もしていない。このような公判活動が何等有効な反証とはならないことは法曹たるもの誰でも容易に理解できるところである。

被告人等の行なった一審公判の後半における否認と反証とは右のごとくいわば無駄であることがわかりきっている公判活動である。弁護人を信頼してその指導に従った被告人が、それ故に反省の念がなく悪質であるとするのは誠に苛酷であり事実の評価を誤まった認定である。

そして、本件について特に重要だと思われるのは、本件公訴事実が、所得税のほ脱という、専門的な技術的な事実であることである。

公判手続は通常の事件においても、弁護人の指導が被告人に対し大きい影響を与えるが、まして所得税法のごとき専門的技術的な法律違反の場合は弁護人の指導は被告人に対し決定的な影響をもつ。

原審において検察官は、被告人が一審においては税理士の二審においては弁護人の公判活動を非難し他に責任を転嫁すると云うが、前記のごとき公判活動であってみればこれが真実被告人のための公判活動であったのか法曹たる者誰でも疑問を抱くところである。

被告人も原審弁護人も決して、責任転嫁というがごとき安易なことを主張したのではなく、被告人のために、一審の公判活動があまりに不合理であるからやむにやまれずこれを指摘し、被告人の真意を訴えたものである。

被告人等の行なった一審公判の後半における犯罪事実の否認と反証の公判活動は以上のごときものであり、この事実をもって被告人に十分な反省の念がなかったと認定するのは誤まりであると思われる。

又、一審の後半において被告人が否認に転じたことを一審判決は、悪い情状とは指摘していないのに原審は、これをもって被告人が犯罪事実について反省しているとは認め難いこととしているが、これも亦原審が一審の量刑の妥当性を云うのに急なあまり妥当性を欠く指摘であって、公判廷において被告人が犯罪事実を争うことが悪い事情ということとなるのであれば裁判一般において、そのような危険を犯してまで事実を争うことは実際上出来なくなり、刑事裁判においては事実上被告人と弁護人の公判活動が大幅に制限されることとなる。

公判において否認したことをもって悪い情状と認定するのは誤まりである。

又本件においては、前述のごとく、当初犯罪事実を全て認め検察官申請の証拠を全て同意して取調済としているのであるから、それ以後の否認と前記のごとき反証活動はいわば無駄な公判活動であって、本筋においては事実を認めているのであり公判廷において犯罪事実を否認するのが悪い情状であるとする立場からいっても本件の否認をもって悪い情状と認定することは誤まっている。

第二、昭和五三年分の申告をとらえてほ脱犯として処罰することは国税犯則取締法刑事訴訟法と憲法に違反すること。

本件対象期のうち昭和五三年分の申告については、その申告期(昭和五四年二月一六日から昭和五四年三月一五日まで)より前である昭和五四年一月二三日収税官吏により帳簿その他申告に必要な資料を昭和五二年以前の所得税法違反嫌疑についての押収手続により差押預置されておりこのため昭和五三年の申告に際しては被告人は右資料を使用し得ず、収税官吏の関与のもとに右資料の一部を間接的に使用して右申告書を作成し申告した。従って被告人の昭和五二年以前のほ脱犯嫌疑調査のための差押領置手続のため昭和五三年の申告は被告人の任意の意思と行動にもとづく正常な申告として行なわれたのではないから右申告に必要な資料を差押領置して被告人が正常な申告を行うことが出来なくなった原因を作っていた収税官吏は右申告所得が過少であるとしてこれを国税犯則事件として告発し、又検察官がこれにもとづいて公訴の提起をすることは国税犯則取締法第一二条ノ二、刑事訴訟法第一条並びに憲法第三一条に違反するものである。

昭和五四年一月二三日被告人は、昭和五二年以前の所得税法違反の嫌疑で家宅捜索を受け、同年以前の分と共に昭和五三年分の帳簿等資料を全て差押領置された。このため昭和五三年分についての昭和五四年三月一五日までの申告期には申告書作成の根拠となる帳簿等が手許になく被告人のみでは申告不可能な状態にあった。そこで被告人は右差押書類を領置している査察官に、昭和五三年分の申告方法につき相談したところ、査察官は領置中の帳簿等は閲覧させられないが帳簿等に記載されている必要な数字を読み聞かせるからそれを基にして申告すべきであると教えられた。

そこで被告人は査察官に読み聞かされた数字によって申告書を作成提出した。

従って被告人の昭和五三年の確定申告は、任意の意思と、任意に帳簿類を使用するという行為によって作成申告されるという正常なものではない。

昭和五四年三月上旬頃は、右帳簿類の差押の一ケ月余後のことであるから査察官自身基本的に被告人の行為が、所得税法違反となるのか、法人税法違反となるのかその区別も明らかではない頃であり未だ当時の対象期であった昭和五二年以前の分の正確な所得計算はしておらず、まして昭和五三年の被告人の所得及び計算方法を把握していないため真実の数字を教えることは出来ず、といって調査対象期のものではないとして昭和五三年分の帳簿類を仮還付することもできず結局昭和五三年分の帳簿の数字をそのまま教え、それによりとりあえず確定申告させ、後日正確な計算の出来る状態となったところで、修正申告を被告人にさせる考えであったと思われる。所得計算の性質上毎期連続性を保たせる必要があることからも、当時の調査対象期の昭和五二年以前の所得計算を行なって、その結果と連続性を持たせなければ昭和五三年の所得計算は正確には出来ないという点からも右措置は妥当であったと思われる。

被告人としては、帳簿類はなく他に申告書作成の資料もないので、査察官の前記のとおりの指示に従って、申告書を作成提出したものである。このような措置をとることは、被告人の場合に限らず査察官が一般的に行なっていることである。

所得税法違反事件の調査に際しては、調査対象期の後の現在進行中の期の帳簿類の押収をするのが普通であるから、調査中に調査対象期の後の期の所得申告の問題が生ずる場合が常でありこのような場合は前記のとおりの暫定的申告を行なわせるのが通常の方法である。

そして対象期について所得ほ脱の方法が解明出来たところで、対象期の後の期の申告分についても、右解明したところに沿って修正申告させる方法が広くとられている。

しかるに被告人の場合は右申告の後、査察調査が順調に進行せず、査察官と被告人との関係も対立的となったため、査察官としては対象期についての査察調査の計算方法とその結果の所得金額とを被告人に教示しこれに連続性を持たせて昭和五三年分の所得について修正申告させることをしなかったのである。

そこで前期のごとき経緯で行なわれた暫定的な確定申告のみが、クローズアップされ、確定申告書作成の前後の経緯が没却され過少申告の事実のみが残った。

以上のごとくであるから、被告人の昭和五三年の確定申告については、査察官が別件の所得税法違反事件調査の目的のために昭和五三年の帳簿等の証拠を差押領置し査察官が右目的のために使用し、被告人は昭和五三年の確定申告に際して右帳簿を正常な状態で任意に使用することが出来ず、これを領置している査察官の裁量によってその一部を使用することを許可されて、これを用いて申告書を作成し申告した。

このような状態で行なった確定申告が過少であるからといって、右帳簿等証拠物を領置し、被告人の正常な任意の使用を許さなかった査察官が右申告をほ脱行為であるとして新たに立件告発することは又これにもとづいて検察官が公訴を提起することは前記国税犯則取締法、刑事訴訟法、憲法に違反するものと考えられる。

第三、昭和五三年分の確定申告が過少となった経緯についての事実認定は情状論としても判決に影響を及ぼすべき重大な事実の認定の問題であること。

昭和五三年分の申告については、一審では「査察着手後にもかかわらず敢て犯行に及んだものであるうえ‥‥」と認定していたが、原審においては査察開始後敢て犯行に及んだとの摘示はしていない(この点は弁護人が控訴趣意書第三で詳細に主張しているのであるから、原審裁判所が重要なことではないと看過したものとは思われない)。

一審が被告人を実刑に処したのは、その判決の量刑の事情の項に指摘されていることからして昭和五三年分申告が査察開始後に敢て過少になされたものと認定したことが非常に大きな理由となっていると思われるが、原審がこの重要な量刑事情に関する事実の摘示をしなかったのが一審同様の事実認定が出来なかったためであるのならば原審判決が、一審判決当時としては一審の量刑が相当であると認定したのは誤まりであり又、一審判決の右認定を原審も同様に認定したのであれば昭和五三年分の確定申告は前記第二記載のごとき事実が存在するのであるから情状論としても判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があるというべきである。

第四、量刑は衡平であるべきであるが本件量刑は所得税法違反としては重きに過ぎ、刑事訴訟法憲法に違反する疑があること。

原審は一審判決を破棄し被告人を懲役一年二月と罰金五〇〇〇万円に処したが、従来所得税法違反で懲役刑につき実刑に処せられたものは極めて稀であって、殆んどの場合懲役刑については執行猶予が付されている。

被告人の場合、通常の脱税事犯と異なる程情状悪質であろうか、脱税額としても二期合計三億二五三七万九七〇〇円であって多額ではあるが現在においては例外的な多額ではなく、又原審の指摘する極めて悪質な犯状ということも真実は前述のごとく特に例外的な悪質さということではない。

そこで原審が被告人を現在の税法違反事件における通常の量刑と異なり極めて例外的に懲役刑に執行猶予を付さなかったのは、被告人が現在世上強い非難の集中している消費者金融業を営んでいることによるものかとの疑を抱かせるものがある。

裁判は具体的事案において、各々他と異なっており、裁判所は法律に従って判決すればよいことは当然のことながらしかし量刑については自ずから多種の同種事案における標準値が存在するのであって、これに反することは合理的な理由のない限り刑事訴訟法第一条憲法第一四条第三一条に違反するものである。

原審が本件事案において被告人の懲役刑に執行猶予を付さなかったことは、右刑事訴訟法憲法に違反する疑がある。

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